学びのアホ図鑑とは

2018年10月に実施した2畳大学の留年式で「学びのアホ図鑑」という展示企画をしました。個人的にはこれがめちゃくちゃ面白かったです。

何かというと、色んな人の「アホっぷり」を30秒程度の音声にしたためたものを、20篇くらい集めたものです。「アホっぷり」というのは、その人が何かに興味をもった時に自分が一番心地いい探求の仕方のパターンや、パターンまではいかないけれど実際に探求した事例を話してもらいました。
例えば、「私はロゴとTシャツを作るとテンション上がる」という女子。資格の勉強をするのに「自習フェス」という名前をつけて、ロゴを作ってもらい、Tシャツを作る。そこから勉強が始まる。どんだけ遠回りするねん!その時間で勉強せえよ!というツッコミが入るわけですど、本人にとっては一番確実に勉強が捗るいい方法なわけで。遠回りなように見えて実は近道だった、と。他にも「チベット語を勉強するのに、チベットの空の青色と一緒の青色の花を探した」「遠く離れた友達のところに遊びに行く時は、地図をトレーシングペーパーに書き起こして、地形や建物の立て込み具合を想像してから行く」「有名人や偉人のカードを自作して、悩んだらそれを引いて、その人ならどうするかを考えたり、理想のメンバーで企画会議させたりする」などなど、こんな具合に。(順次公開する予定)

どれもこれも、すごいアホなんです。でも正しい。

これを聞いてて思い出したのが、ジョジョのスタンド。ハンターハンターの念能力。マンガの話なんだけど、どちらも「その人らしい固有の能力が発現したもの」です。この「発現したもの」って表現が、このアホ図鑑の話にもすごくしっくりくるんです。つまりもうさっきのロゴとTシャツの話や、地図の話なんかがスタンド能力に見えてきたのです。

まだうまく言えないですが、この「個性の発現」がいまとても大事な気がしています。別に大きなことや珍しいことをしていることなんかはどうでもいいし、聞こえのいいペラペラの「あなたはそのままでいいんだよ」みたいなことを言いたいわけでもないです。否定のしようのない、安全な言葉の中での個性じゃなく、否定もされたり理解もされなかったりするけど、その人の中からどろっと出てきたようなもの。これをちゃんと発現させるにはどうしたらいいんだろう、ということにすごく興味がわいてきました。

そんな動機もあり、まずはこういった「学びのアホ」とも呼べる人たちを、最大の尊敬の念をもって紹介していければと思います。お楽しみください。

【余談/自分らしさと学びのアホ図鑑】
「自分らしさ」という言葉がだいたい嫌いです。「あなたはそのままでいいんだよ」的なやつ。

でも、音楽や絵などのアート作品、またはプロジェクトや活動なんかは、その人らしさを強く感じるものじゃないと全く面白くない。むしろそういうのが強いものほど好きです。

たぶんこの違いは、「自分らしさって素敵だね、という雰囲気」なのか、「その人らしさそのもの」なのか、対象が違うだけのことだけで、前者は大嫌いだけど後者は大好きです。

前者の話は全く興味がないので置いておきますが(あの雰囲気の中に思考停止させるスタンドがいるのかもと思ってみるとちょっとだけ楽しいけど)、そもそもこの「自分らしさ」とはなんなのか。

まずはこの「自分らしさ」について考えたいと思います。そもそも「自分らしさ」なんて存在するのか?「いやいや、そんなんないやろー」と思うんですよね。

自分を振り返った時に、「めっちゃ梅山くんらしいね!」みたいに言われることがよくあります。その時に思うのが「ここで言われている「らしさ」って、〇〇さんの影響、というかほぼコピーやねんなぁ」と。そしてほとんどがそんな感じで、そもそも自分のオリジナルなんてどこにあるんだと探しても全然見当たりません。たぶん、そういうのは1つも無いんだろう、と思っています。

せめてオリジナルっぽいのがあるとすれば、影響を受けたいくつかの考えや価値観が混ざって異形に変形していたり、コーヒーみたいにブレンドされて独特な味わいになっていたり。でも、さらに元をたどってみたら、その影響を与えてくれた人も別の誰かから影響を受けていたりするんですけど。だからオリジナル的で、持って生まれたような「自分らしさ」はないけれど、そうじゃない「自分らしさ」というものはあるんじゃないかと思います。

個人的には、この、色んな人からの影響がぎゅっと詰め込まれ、混ざって発酵して、その結果として漏れ出てきてしまったその一滴を「その人らしさ」だと思っているし(発現したスタンドと同義)、それこそが魅力的で面白いものだなぁと思います。アーティストとか、わかりやすくキャッチーなプロジェクトをやってる人が目立ちがちですが、派手さはないかもしれないけど、平凡にマイペースで自分から何かをするでもなく暮らしている人でも、そういう「その人らしさ」がにじみ出ている人もたくさんいます。そういうのが本当に魅力的で面白く、心を動かされます。だからもっと見たい。めちゃくちゃ個人的な興味関心ですけど。でもやっぱりそれが面白い。

そう考えると「その人らしさ」というものは、「元々あるもの」「自然と作られていくもの」という考えもあるかもしれませんが、「徐々に作られていくもの」「誰かの影響なしでは生まれないもの」と理解するのが僕はしっくりきます。つまり自分で「見つける」ようなものではなく、「作り出せるもの」ということになります。

この前提となる価値観が前者なのか後者なのかで、自分自身と他者に対しての「自分らしさ」への見方や接し方が大きく変わるんじゃないかと思います。僕は後者の立場から、このことを考え始めたいと思います。

それを発現させることに、そもそも意味があるのかとか、大事なのかとか、そういうことを引き続き考えたいと思います。また考えが進んだら追記していきたいと思います。みなさんからのご意見もお待ちしております。

2畳大学・学長/梅山晃佑

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